すべての「なぜ」や「どうして」を知る必要はない。質問には終わりがないのだ。すべての欲望を放棄しなさい。マインドの沈黙を保ちなさい。そうすればあなたは発見するだろう。
ニサルガダッタ・マハラジ
アイ・アム・ザット 私は在る ニサルガダッタ・マハラジとの対話 より
心の静かなところに常に居るようにすること=瞑想
こんにちは。最近自分の中で起こったこと、気づいたことを書いてみます。
瞑想が大事である と最近感じることが多くなりました。なぜ?やこうだから!という理由があるわけではなく漠然と感じていたことでした。
そう思いつつも自分が多動性ADHDの典型的な人物であり、日常の中で瞑想をスケジュールとしてタスク化して行うことは難しく感じていました(あなたに瞑想は無理だから、集中できること=プラモ作ったり気楽に取り組めるクリエイティブなことをするのが良いと言われてました。←とても納得していた by吉濱先生)。
ヨガのエクササイズや山での登り道、河で船を漕いでいる時などの行動中に無心になる。
そのような体験した方もいらっしゃると思いますが、この感覚に陥ることは多々あり、ここちよい時間だと感じている自覚はうっすらとありました。
そんな中、自分がグラウンディングがしっかりできている時は、瞑想ができるな!と確信したときがありました。
私の場合は適度に身体を動かし、特に自然の中で遊んだあとは心地よさとグラウンディングが長続きして、数日後も一般的な瞑想に取り組むことが可能だったのです。
瞑想の中で、目を閉じて、ただココロの静かなところに居るようにしているだけ。流れていく感情をみつめる。
最初は『瞑想できてる!』というコンプリ感だけだったのですがw なにか気持ちよさを感じるようになりました。漠然とした掴みきれないもの。言葉にならないもの(マハラジさんの話の中でその言葉にしようとする行為がいかに無駄であるか書かれているんですがw)。
暫く続けていたところ、私の場合は生活の支障をきたすようなことがあると、気持ちが瞑想に向かなくなったりします。※逆に支障をきたすことがあるから瞑想ができる人もいますね!人それぞれ。
私はしばらく瞑想をする時間が取れずにいました。瞑想をする気持ちが起きない。それどころではないという感じでしょうか。
絶大なる瞑想の効果を感じた瞬間
ある日、瞑想をしてみよう!という気がまた起きてきて、再開することにしました。ほんの数分からのスタートです。
再開して数日後、約束を守らない(う◯こ)息子が帰宅する直前、たまたま瞑想をしていました。
すると…
私が瞑想をした後だと 自分の彼への対応が全く違う!
なんて冷静で愛にあふれた親なのだろうか…(自画自賛できるレベル)
ホント自分でも唖然としましたねw
瞑想すると怒らない = 現実にくっつき過ぎることがない ことを実感した瞬間でした。
瞑想していた時期から離れた際の自分
瞑想する時間がとれていない、瞑想に依存しているわけではないのですが、グラウンディングができていないな、余裕が無いなというときに、
怒りなどネガティブな感情が表にでやすいことを掴めました。
ネガティブな感情の露出だけでなく現実がもうメタクソぼろぼろでしたw
あまりに見えてくるもの・結果があからさまなので、
本当に自分のこころの静かなところに居るようにするという行為=チューニングは、とても大切に感じています。
軽めの瞑想とグラウンディングのすすめ
こころの静かなところに居るようにすると=グラウンディングを常に意識しながら いろいろと変わると実感しています。現実を変えるためにやっているんではないのですが(自分がかわると現実はおのずと変わるので)まあ、変わりますw
自分の周りがやかましい!っていう人ほどやってみるとよいと思います☆
瞑想 が苦手な方にもおすすめです、忙しくない時でよいので、しばし眼をとじてみる。そしてできるだけこころの静かなところに自分を置く事を心がける。そして考えることを停止してみるだけでOKです。
おすすめです!!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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